思い出のマーニーの湿っ地屋敷のモデルの場所と舞台は?原作と映画の違いは?

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思い出のマーニーの原作は?

思い出のマーニーの原作を紹介していきたいと思います。

ジョーン・G・ロビンソンによる、イギリスの古典文学です。  
原題は「When Marnie Was There」で、1967年に出版されました。

元は宮崎駿監督のお気に入りの児童書でした。
しかし監督が忙しかったため、プロデューサーの鈴木敏夫氏が、米林監督に話を回しました。

米林監督は、最初は断るつもりでした。
思い出のマーニーの主軸となるのは、少女2人が交流していく中での心の動きです。
映像化は難しいと思ったのです。
しかしイメージボードを描いているうちに、だんだん前向きな気持ちになっていったそうです。
石造りの屋敷と、手と手を取り合う少女たち……。

こうして宮崎駿・高畑勲が関わらない、初のジブリ映画がスタートしたのです。

そんな思い出のマーニーの原作ですが、映画との違いは何でしょうか?

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思い出のマーニーの原作と映画の違いは?

それでは、思い出のマーニーの原作と映画の違いを検証していきますね。

1つ目の違いは「舞台」です。
上でも書いているように、原作はイギリス、映画は北海道です。
これにより、設定にも大きなアレンジが加えられました。

最も大きな違いは、サイロでしょう。

杏奈がマーニーとお別れするターニングポイントとなる建物です。
原作では、マーニーのトラウマは風車小屋でした。

しかし風車は、日本では馴染みがありません。
そこで代わりとなったのが、冬季に家畜のエサを貯蓄するサイロでした。
北海道が舞台となった要因の1つでもあります。

2つ目の違いは「キャラクター」です。
マーニー以外、名前は和名に変更されています。
キャラクターの役割はほとんど原作準拠ですが、ところどころ印象的な改変もされています。

例を挙げてみましょう。
原作の「サンドラ」は陰湿で、いじわるな少女です。
「あんたは『あんたの通り』に見えている!」のセリフも、「ふとっちょブタ」の意趣返しのように吐き捨てています。

映画の「信子」はリーダー気質の少女です。
上記のセリフも、杏奈にさとすように言って「これで終わりにしましょ!」と切り上げます。
個人的に、信子の印象が変わったお気に入りのシーンです。

また原作の「ワンタメニ―」は、口数は少ないながらも、必要な時にはしっかり喋る老人です。
一方で映画の「十一」は、杏奈のプレッシャーにならないよう、「10年に1度しか喋らない」と言われるほど無口です。

映画の杏奈は、愛情を受け取ることに拒否感を持つ少女です。
最終的に周囲に心を開けるよう、杏奈にとって「やさしい世界」になっていると考えられます。

3つ目は「展開」です。
松野正子訳、岩波少年文庫「思い出のマーニー」は上下巻に分かれています。
下巻の冒頭で、アンナとマーニーはトラウマである風車小屋へ行きます。
そして20ページほどで「私を許して!」のお別れシーンになります。

「残りのページでは何が起こるの?」
と疑問に思うかもしれませんね。

屋敷へ新しく引っ越してきた、映画版だと「彩香」に当たる「リンジー家」。
そして杏奈の養母である「頼子」に当たる「ミセス・プレストン」。

これらのキャラクターたちと交流し、アンナが成長する姿が描かれます。

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思い出のマーニー湿っ地屋敷と原作まとめ

今回は、思い出のマーニーの屋敷のモデルや原作を紹介させていただきました!

ちなみに宮崎駿監督としては、舞台は瀬戸内海をイメージしていたようです。
しかし崖の上のポニョとイメージがかぶるので、最後は米林監督の意向が通りました。

米林監督は1973年生まれです。
アニメーターとしては敏腕ですが、監督としては駆け出しです。
宮崎駿監督から怒られた逸話も数知れず……。

次世代の日本のアニメ映画の担い手として、ぜひ頑張ってほしいですね。

画像出典アンク@金曜ロードSHOW!公式:https://twitter.com/kinro_ntv/status/885839326260547584

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