PRODUCTION NOTE

制作ノート

制作後記 ~会田誠を撮ること

私たちスタッフが映画として自らに課したのは、テレビメディアと異なり、言葉による意味や説明を極力排して、感じてもらうことを第一義に考えた。観客を手練手管で誘導するのではなく、観客の想像力に問いかける作りに主眼を置いた。
カメラが追ったのは、主に『灰色の山』というサラリーマンの死体の山が累々と続く、会田誠にとっては珍しくシリアスな作品だった。
彼の言にある「同じようなものが連続して、視野を覆うことで眩暈がするという、昔からある絵画の必殺テクニック」はいかに発揮されるかというのが見どころの一つなのだが…。映画の制作者としては、『灰色の山』がどう時代とつながっているか見極めたいと心の底で思っていた。結果、『灰色の山』は地獄絵ではあるが、悲惨というより、どこかユーモラスな明るい地獄絵となっており、死体の山にもかかわらず、そこにはエロスの趣さえうかがえる。シリアスな絵においても、批評精神をユーモアとエロスでまぶすのは、将に会田誠の真骨頂だった。
会田本人は何かの取材で、忍耐と根気が必要なこの制作を写経のような心持でやるしかないと、うそぶいていた。しかし、酒とたばこ三昧で、超虚脱の毎日。遅々として進まない彼の言い訳のオンパレードを我々はひたすら撮ることになった。
美術家自身は必ずしも、直截に「時代」や「メッセージ」そのものを表現するわけではない。本人は昔から気になっていた「背広」をモチーフに記号として描くとこうなったという。しかし、酔っ払いの肉体に宿る作家の意識はいつも覚醒していて、「時代」と共振していた。その語り口は決して声高にはならず、抑制されたものだ。
美術家が持つ時代や社会に対する「予見性」を、作品が完成したとき初めて我々スタッフは思い知ることとなった。美術家のモチベーションとしては9・11や3・11は直接、関係していないだろうが、展示会場で観客として作品そのものを見たとき、作家の意図とは別に、作品が自ら観客に問いかけてくる気がしてならない。観客の感受性の在り様に応じて、この死の景色をどう見るかと・・・。
作品の完成後に、私たちは3・11を体験するわけだが、『灰色の山』は日本人が歩いてきた道のりの、ある帰結を予見していたように思えてならない。それにしても、累々とした死体の山の光景をただ悲惨さとして描くのではなく、やさしく柔らかいまなざしで描く会田誠の、ぶれない人間力を私は感じた。3・11を体験してしまった私たち日本人には「祈り」の精神まで見えてきはしないか。
振り返ってみると、惚れた者の強み(無謀さ)で、会田誠の創作の場や心の内に、いつもずかずかと土足で動き回った気がする。取材中一貫して、彼は1度も我々に注文をつけなかった。時にかっこ悪いとわかっていても、ありのままを見せてくれた。 会田作品の前に立つ時感じる「エロスと毒」の衝撃がいかに生成されていったのか、我々の映画制作は、創作現場の目撃者(=記録者)としての役割を少しは果たせただろうか?スタッフの浅はかな読みをことごとく裏切ってゆく、超脱力と集中のジェットコースターのような創作の時間に密着できたことは、至福の喜びだった。許されれば、10年後、20年後の会田誠の創作活動を再びまとめてみたい。

はじめに

現代美術家ってどんな人種?
日本の現代美術ってどんな芸風?どこに特徴があるの?
少女趣味=エログロ・オタク作家として、知る人ぞ知る現代美術家、会田誠ってどんな人間なんだ?
……と、こんなことを思いつつ、長年、テレビドキュメンタリー番組をやってきた私は、最初テレビ局に提案してテレビ番組をつくるつもりだったが、局の反応はいずれも冷たかった。彼の芸風がテレビにそぐわないと言ってきた番組もあった。
所属するミヅマアートギャラリーにも、他のプロダクション数社から提案があり、テレビ局のゴーサインの前に事前取材を始めた会社もあったが、結果、その後、制作を進めることができた制作会社はなかった。
心底がっかりした。そこそこの制作会社(私たちではない)の提案を拒否するテレビ局の企画の選定の基準て何?と素人みたいに憤慨した。今に始まったことではないが、百選練磨のテレビキョクプロデューサーたちの怖いもの見たさとやばい橋は渡りたくないという、逃げ腰で、そのくせおいしいところだけはいただくという当世の安全パイ業務では、この企画は実現しないと私たちは判断した。
テレビ局の安全コードに従って、その意向をくみながら、口当たりのいい番組を作っても面白いものができるわけがない。
彼の作品が持つ、社会に対して発する「毒」を薄めたり、「棘」を抜いて描いては、そもそも彼に失礼だろう。スポンサーや視聴者のチェックをかいくぐって、今、最も時代を映し、発信力をもっている「現代美術家」をテレビ番組に登場させる情熱や策略を持ち合わさないテレビキョクインのやる気のなさにがっかりした。それを説得できない自分にもふがいなさを感じた。
いずれにせよ、この時、すでに私たちは会田誠にすっかり魅せられていたのだ。かくして、せっかくだから、私たちはあえてテレビ的な「わかりやすさ」「過剰なナレーションによる説明」「テレビ的レトリックの再構成」を極力排した。視聴者自身が考えたり、想像することを視聴者からとりあげ、モノの見方まで介護する悪しきテレビ的手練手管をやめて、出来事を撮影した順に、そのまま並べることにした。あまりに慣れ親しんできた、テレビ的作法を封じてみたいと思った。テレビ局がいうところの「コードや自主規制」は一切、無視した。彼らが気にする「コード」がどれほどのことでもないことを証明したいとも思っている。
こうして、幼い頃から集団生活に齟齬を感じていた、自称ADHDのオナニー猿、会田誠の「悪戦苦闘する制作過程」の日々を、我々は目の当たりにすることになった。

会田誠がすこ~し、わかってきた

撮影が進むにつれ、少しずつ会田誠自身の行動形態がわかってきた。
その最たるものが、休憩煙草の多さと二日酔いで作業を中断することだ。
それが、度重なり、結局、展覧会などの締切に間に合わなくなることだ。
その習い性がこんな言い訳を生むようになった。
「イラストレーターとアーティストの違いは締切を守れるかどうかだ」
アニメの背景画やイラストレーターの描写力のうまさは美術家よりはるかに技術が高いと白旗をあげつつも、納得がいくまで、作品を手放さない未練がましさでは負けてはいけないなどと、屁理屈を弄する会田誠。次々と繰り出す、言い訳は落語のような味わいさえあるのだが…。
1年間に及ぶ撮影中も、制作期間足かけ四年の「滝の絵」は結局完成しなかった。
未完成のまま美術館に展示されても、会場の客の前で、じたばた加筆をやっている作家の、心の裏側を覗いた気がした。
イラストレーターはクライアントの要請(納品期間、品質、狙い、金銭)にこたえて仕上げなければプロと言えない。これをクリアする人たちがプロと呼ばれる。
当然のことながら、会田は依頼仕事をあまりしたくないらしい。自らのモチベーションによってしか作品を作らない。だれからも締切を強制されたくない。あらゆる条件から"解放"されている。マネージメントする画廊も大変だろうと思う。締切に間に合わないことで、本人もその都度、自己嫌悪に陥っているようだが、それも習い性となってしまっているようだ。自由であることはとてもつらいものらしい。

自分に強いた偉大なる苦行!

この撮影では主に、巨大絵の2作品を制作する会田誠の姿を追った。
前述した「滝の絵」のほかに、「灰色の山」というサラリーマンの死体の山を千体以上も描かなくてはならない。雑誌の取材に、会田本人は写経のような作業になるだろうと告げていた。肉体も精神も相当なストレスが強いられる。しかし、カメラの前でも、苦行から逃避する"言い訳"を用意して、根気の要る作業から逃げる。明けても暮れてもサラリーマンの死体を描くことの苦行にいかに耐えたかと言うと、実は、並行してスクール水着の美少女を描いて、そのストレスを発散していたのだ。

美少女への執着が・・・

なぜ、美少女ばかりに執着するのかという問いに、会田は子供のころ、アイドルの写真を見ながら、その裸を想像して美少女絵を描いたと自らのエッセイに書いている。結果、"作品"は「自分用のずりネタ絵」にもなるのだが、それで絵の技術を磨いたと嘘ぶく。
しかし、美少女への執着が決して嘘ではないことを私たちは見た。
会田誠は、大作「灰色の山」で死体を一体描くごとに、美少女の絵の加筆作業に逃げこんだ。スクール水着の少女たちを描くときの幸せそうな会田の顔。よくぞ、性衝動(スケベ心)を制作のモチベーションとして、苦行を切り抜けようとしたものだ。
目の前いっぱいに、同じものが繰り返されることで、圧倒的な・めまいや衝撃を感じさせるという絵画の必殺テクニックを使う「灰色の山」は、同じことを丁寧に続ける根気を何よりも要求する。しかし、会田は少年時代から根気よく続けることが苦手な「多動性障害」だったという。
もっとも苦手な手法で作品をつくろうとしていたのだ。作業を見ていた我々は、期日内には「完成しない絵」で、完成までに数年かかると踏んでいた。
まさに、遅々として作品制作は進行していった。
好キコソモノノ上手ナリ。エロ少年はいかにしてアーティストになったのか?
エロ少年とアーティストの間をつなぐ妄想の回路を探すことがこの取材のテーマとなった。美少女に寄せる怒涛のごとき妄想はアーティストの肉体も感性も裏切らない。その分、少女を描くことが楽しいと言い切る彼の言を私は信じることができる。スクール水着少女とサラリーマンの死体を交互に描く。この並行作業がなかったら、「灰色の山」は完成しなかったに違いない。

股間への妄想全開!

描き始めて10か月の期間が過ぎ、個展が目の前に来ても、「灰色の山」は未完成だった。プレッシャーに押しつぶされるかと思いきや、個展の盛り上がりを狙って、サービス精神旺盛な会田は、自分が大好きな「エロごと」作品をビデオでつくることにした。
時間的に追い込まれ、逃げ場がなくなっても、根っからの「妄想オナニー猿」としてのエナジーで推進力を得てしまう。そして、個展会場では、美術家のさらなる芸術的タクラミに我々撮影班はまんまといっぱい食わされてしまった。この徹底したつくることへの情熱と妄想はどこから来るのか?現代の絵師はケタ外れのスキモノだった…。
取材中一貫して、会田誠は1度も我々に注文をつけなかった。時にかっこ悪いとわかっていても、ありのままを見せてくれた。私たちは、アーティストの影や尻尾を掴まえられただろうか?

STAFF

監 督 : 渡辺 正悟

1951年生まれ 広島県出身
民放、NHK−BSなどで情報番組やドキュメンタリー番組を数多く手がける。
大自然・紀行・歴史・医療・戦争・人物など、さまざまな大型ドキュメンタリー番組で高い評価を得る。

受賞歴

「宇宙からの大追跡 母子ツル渡りの謎」1993年
   高柳健次郎記念賞
   第35回科学技術映像祭 科学技術長官賞
   日本動物愛護協会賞

「椎名誠のパタゴニア大氷河2,000」1984年
   第1回 ATP(全国テレビ番組制作者連盟)優秀賞
   第11回 ソビエト国際番組フェスティバル
       グランプリ受賞

撮 影 : 大石 英男 1968年生まれ 福岡県出身
88年、撮影技術会社に入社。撮影助手を経て、カメラマンとして独立。95年 渡米、L.Aにて活躍。99年 拠点をNYに移し、テレビドキュメンタリーを中心にCM,ミュージックビデオ等、幅広く活動。01年にNY同時多発テロを間近で経験・取材撮影。05年 日本に帰国後、東京をベースに活動中。今回の作品が自身初のドキュメンタリー映画作品。

プロデューサー : キム・ヒージュン 1958年生まれ 東京都出身
(株)ザ・ファクトリー 代表・プロデューサー
テレビ東京系「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」など経済ドキュメンタリーでプロデューサーとして活躍。グローバル化した経済の裏側のドラマをフォーカスすることに定評がある。

Z-factory

(株)ザ・ファクトリー
2007年 キム・ヒージュンを代表として、東京・南青山にてスタートした制作集団。
主にテレビドキュメンタリーをはじめとして、企業のPVでもユニークな作品を多数制作。